2008年08月02日
■日記■ 来るべき天変地異
最近、県内2紙の1面に出た出版物の広告がある。「神の啓示」「文化の終焉」などのキャッチコピーが並び、なにやら穏やかではない。
本の表紙の写真があるのだが、それを見ると、帯のような部分に(たぶん帯ではなく表紙の色を変えている部分だと思うが)こうある。
この本を全世界の人々が読まなければ、
天変地変、危機は止める事は出来ない
何万部・何億部印刷したのだろう。あらゆる言語で翻訳したのかな、だとしたらすごいが。
普通に考えれば、物理的に無茶である。
しかし、そうしないとすごいことが起こるらしいのである。困ったな~。
僕はまだこの本を手にとっていない。書店で見ても読まないだろうなぁ。少し立ち読みはすると思うけど。いろんなことを僕のせいにされても困るな~。
本の表紙の写真があるのだが、それを見ると、帯のような部分に(たぶん帯ではなく表紙の色を変えている部分だと思うが)こうある。
この本を全世界の人々が読まなければ、
天変地変、危機は止める事は出来ない
何万部・何億部印刷したのだろう。あらゆる言語で翻訳したのかな、だとしたらすごいが。
普通に考えれば、物理的に無茶である。
しかし、そうしないとすごいことが起こるらしいのである。困ったな~。
僕はまだこの本を手にとっていない。書店で見ても読まないだろうなぁ。少し立ち読みはすると思うけど。いろんなことを僕のせいにされても困るな~。
2008年07月29日
■日記■ 夏の出版大戦争! ハリポタvsハッピーの本
先週から書店はもうハリー・ポッターの最終巻がドーンと積まれている。そりゃ、発売自体がニュースになるような本なので、書店の力の入れようも違うのだろう。
ただ、この本は完全買い切りと聞いている。それを思うと僕なんかは逆に「こんなに買い取って大丈夫か? 売れ残ったらどうするんだ」なんて心配してしまう。まぁ、何だかんだで売れているんだろうな、どうにかなるのだろうな、とも思う。
一方の県産本。ハリポタ何するものぞ、と鼻息も荒く(嘘)、ボーダーインクが「ハッピーアイランドの本」の配本を開始した。
何故そんな他社の内部事情まで知っているかというと、昨夜のネットワーク総会後の懇親会で本人たちが言っていたのである。書店担当のKさんが「(飲むのは)ほどほどに」と釘をさしていたが、さて、どうでしょうか。
ちなみに、僕の会社の近所の、割りに大きな書店には、既に配本されておりました。意外に積んでいないな、という印象だったが、実はもう売れて少なくなっていただけだったりして。
言うまでもなく、ハッピー・アイランドというのはお昼の人気ラジオ番組で、僕も聞くこともあるのだが、「この世には善人しかいないはずだ」と思わせる独特の世界観がある。聞くたびに僕は、自分の非善良な部分を見せ付けられるような気がして、いつも涙している(嘘)。
パーソナリティーの多喜ひろみさんとは二度ほど話をしたことがあるが(あちらは僕のことなど全く記憶にないだろうが)、その口調、発せられる言葉が、ラジオとそのまんまだったためびっくりしたものだ。善人には善人が集まるものだと、妙に得心した覚えがある。
このブログで特定の本を論評するのは避けたいので詳しくは書かないが、編集が非常によく出来ていると感心した。長年のシリーズだし、読者リサーチも何となく出来ているだろうからだろうが、読者(リスナー)へのサービスがふんだんにあると思った。この次に話をする機会があれば、是非聞いてみたいものである。これを戦略的にやっているのだとすれば、すごいな、と思う。
ただ、この本は完全買い切りと聞いている。それを思うと僕なんかは逆に「こんなに買い取って大丈夫か? 売れ残ったらどうするんだ」なんて心配してしまう。まぁ、何だかんだで売れているんだろうな、どうにかなるのだろうな、とも思う。
一方の県産本。ハリポタ何するものぞ、と鼻息も荒く(嘘)、ボーダーインクが「ハッピーアイランドの本」の配本を開始した。
何故そんな他社の内部事情まで知っているかというと、昨夜のネットワーク総会後の懇親会で本人たちが言っていたのである。書店担当のKさんが「(飲むのは)ほどほどに」と釘をさしていたが、さて、どうでしょうか。
ちなみに、僕の会社の近所の、割りに大きな書店には、既に配本されておりました。意外に積んでいないな、という印象だったが、実はもう売れて少なくなっていただけだったりして。
言うまでもなく、ハッピー・アイランドというのはお昼の人気ラジオ番組で、僕も聞くこともあるのだが、「この世には善人しかいないはずだ」と思わせる独特の世界観がある。聞くたびに僕は、自分の非善良な部分を見せ付けられるような気がして、いつも涙している(嘘)。
パーソナリティーの多喜ひろみさんとは二度ほど話をしたことがあるが(あちらは僕のことなど全く記憶にないだろうが)、その口調、発せられる言葉が、ラジオとそのまんまだったためびっくりしたものだ。善人には善人が集まるものだと、妙に得心した覚えがある。
このブログで特定の本を論評するのは避けたいので詳しくは書かないが、編集が非常によく出来ていると感心した。長年のシリーズだし、読者リサーチも何となく出来ているだろうからだろうが、読者(リスナー)へのサービスがふんだんにあると思った。この次に話をする機会があれば、是非聞いてみたいものである。これを戦略的にやっているのだとすれば、すごいな、と思う。
2008年07月29日
■日記■ 総会も終了
昨日は県産本ネットワークの総会があった。無事終了した。
調べてみれば、総会も6回目である。ということは僕が事務局長になって6年目になるわけだ。時間はそうやって流れていき、僕も年をとっていくわけだ。
総会は静かに進み、県産本フェアの成功にむけて、そして行われるイベントの件も報告した。
総会後の懇親会ではフェアのこと、ネットワークについての決意のようなことを多くの人に述べてもらったので心強い思いをした。ありがたいことである。
総会も懇親会も、6年間同じ場所で開いている。昨日も1年前と同じ場所で飲んでいたわけだが、どういうわけかなくなった佐久田繁さん(月刊沖縄社)のことを思い出した。確か去年もそうだったと思う。何年前だっただろうか、参加していただいて一緒に飲んだわけだが、何と言うかスケールの大きな人だなぁと思った。総じて、先輩出版人と絡むと自分の小ささを思うわけであるが。
調べてみれば、総会も6回目である。ということは僕が事務局長になって6年目になるわけだ。時間はそうやって流れていき、僕も年をとっていくわけだ。
総会は静かに進み、県産本フェアの成功にむけて、そして行われるイベントの件も報告した。
総会後の懇親会ではフェアのこと、ネットワークについての決意のようなことを多くの人に述べてもらったので心強い思いをした。ありがたいことである。
総会も懇親会も、6年間同じ場所で開いている。昨日も1年前と同じ場所で飲んでいたわけだが、どういうわけかなくなった佐久田繁さん(月刊沖縄社)のことを思い出した。確か去年もそうだったと思う。何年前だっただろうか、参加していただいて一緒に飲んだわけだが、何と言うかスケールの大きな人だなぁと思った。総じて、先輩出版人と絡むと自分の小ささを思うわけであるが。
2008年07月23日
■日記■ 選評の魅力
褒めるというのは難しい。
いや、心にもない、歯の浮くような言葉を並べるのはそう難しいことではないが、物事の(人の)本質を突いて褒めるというのは誰にでも出来ることではない。対象となる物事(あるいは人)が褒めるに値するかという問題もある。
新聞での書評というのは、基本的には褒めねばならない。思ったまま書くぞ!と思っても、なかなかそうは行かないのが世の中である。そうやっていろんな表現が出てくるのである。内容をただ書いたり(中には原稿の半分を目次の引用というものもあった)、本とは関係ない著者の人柄を強調したり、言葉は褒めているのに全然評価していないなーと読めるものがあり、多少の問題点に触れながらもその本の価値を落とさない玄人の書評もある。裏読みをするようでなかなかに楽しい。その一方で、「あぁ、僕は毒されている。業界に染まっている」なんて思ったりもする。
その一方で、選評というものがある。我々は文学賞などでそれを読むことが出来る。
選評は書評とは違い、著者(応募者)と選考委員とは特に利害関係はない(あるとしたらその賞自体に問題がある)。顔も知らない場合が多い。だから特に褒める必要はない。
新沖縄文学賞は一昨年まで、応募作すべての選評を掲載していた。受賞作を決めるための候補作はもちろん、それ以前にふるい落とされた作品に対してもだ。逆に後者の方が選評としては読み応えがあったのではないか。「小説というものを根本的に誤解している」「誤字・脱字が多すぎる。読み返していないのか」「選考以前の問題だ」など、辛らつな言葉もある。注意して読めば、毎年同じ人が同じような言われ方をしていることもある。こうなると「どれくらいひどいのか」という興味すら湧く。受賞作の紙面発表に伴い、昨年からこの選評を読むことが出来なくなって残念に思う人は少なからずいると思う。
昨日の琉球新報では第31回山之口貘賞の選評が載っていた。先陣を切ったのは天沢退二郎(詩人、宮沢賢治賞受賞)である。
大石直樹さんの「八重山讃歌」が受賞したこの賞である。選評をフムフムと読み進めていくと、受賞作以外に触れた部分に目を奪われた。特に最後の一段落にはマニア心をくすぐるものがあった。
痛快である。天沢節といってもいいかもしれない。俄然それらの本に興味が湧く。
後半の2冊はほぼ入手不可能だろうし、そうなると他の2氏の選評を読みたくなる。
それを楽しみに今朝の新報を開いたら、琉球新報児童文学賞の作品と選評が載っているではないか。明日以降に持越しである。紙面の都合だろうけど、そりゃないよ、と思った次第である。
いや、心にもない、歯の浮くような言葉を並べるのはそう難しいことではないが、物事の(人の)本質を突いて褒めるというのは誰にでも出来ることではない。対象となる物事(あるいは人)が褒めるに値するかという問題もある。
新聞での書評というのは、基本的には褒めねばならない。思ったまま書くぞ!と思っても、なかなかそうは行かないのが世の中である。そうやっていろんな表現が出てくるのである。内容をただ書いたり(中には原稿の半分を目次の引用というものもあった)、本とは関係ない著者の人柄を強調したり、言葉は褒めているのに全然評価していないなーと読めるものがあり、多少の問題点に触れながらもその本の価値を落とさない玄人の書評もある。裏読みをするようでなかなかに楽しい。その一方で、「あぁ、僕は毒されている。業界に染まっている」なんて思ったりもする。
その一方で、選評というものがある。我々は文学賞などでそれを読むことが出来る。
選評は書評とは違い、著者(応募者)と選考委員とは特に利害関係はない(あるとしたらその賞自体に問題がある)。顔も知らない場合が多い。だから特に褒める必要はない。
新沖縄文学賞は一昨年まで、応募作すべての選評を掲載していた。受賞作を決めるための候補作はもちろん、それ以前にふるい落とされた作品に対してもだ。逆に後者の方が選評としては読み応えがあったのではないか。「小説というものを根本的に誤解している」「誤字・脱字が多すぎる。読み返していないのか」「選考以前の問題だ」など、辛らつな言葉もある。注意して読めば、毎年同じ人が同じような言われ方をしていることもある。こうなると「どれくらいひどいのか」という興味すら湧く。受賞作の紙面発表に伴い、昨年からこの選評を読むことが出来なくなって残念に思う人は少なからずいると思う。
昨日の琉球新報では第31回山之口貘賞の選評が載っていた。先陣を切ったのは天沢退二郎(詩人、宮沢賢治賞受賞)である。
大石直樹さんの「八重山讃歌」が受賞したこの賞である。選評をフムフムと読み進めていくと、受賞作以外に触れた部分に目を奪われた。特に最後の一段落にはマニア心をくすぐるものがあった。
他に○○さんの『△△』は立派な本だが、立派すぎてなんだか場違い。××さんの『◎◎』はコメントを省略させていただく。□□さんの『◆◆』は、□□さんとその御家族にとっては貴重な一冊となるにちがいない。
痛快である。天沢節といってもいいかもしれない。俄然それらの本に興味が湧く。
後半の2冊はほぼ入手不可能だろうし、そうなると他の2氏の選評を読みたくなる。
それを楽しみに今朝の新報を開いたら、琉球新報児童文学賞の作品と選評が載っているではないか。明日以降に持越しである。紙面の都合だろうけど、そりゃないよ、と思った次第である。
2008年07月14日
第10回県産本フェア、告知用ブログ
もはや恒例の感がある「沖縄県産本フェア」。いよいよ今年は10回目になります。
記念のフェアなので、これまでよりも大掛かりなものにしようと、あれこれ準備しております。
そこで、フェアの告知のためのブログも立ち上げました。
よろしくご覧下さい。
http://kensanbonfair.ti-da.net/
記念のフェアなので、これまでよりも大掛かりなものにしようと、あれこれ準備しております。
そこで、フェアの告知のためのブログも立ち上げました。
よろしくご覧下さい。
http://kensanbonfair.ti-da.net/
タグ :県産本フェア

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